目次
- はじめに:働くことの意味をもう一度見つめて
- 障害者雇用という“社会的な回復の場”
- 弱さを通して神が働かれるという真理
- 精神的・霊的な癒しと職場での歩み
- 終わりに:あなたの“今日の一歩”に神は共におられる
1. はじめに:働くことの意味をもう一度見つめて
「働くこと」とは、私たちにとって何を意味するでしょうか?単に生活の糧を得る手段としてだけでなく、「自分がこの世界で役に立っている」という実感を得る行為でもあります。特に、病や障害、精神的な苦しみを経験した人にとって、再び働くということは、ただの就労ではなく「人生の再出発」にほかなりません。
しかし、その一歩はとても大きく、そして重たいものでもあります。「本当に社会に戻れるのか」「また傷つくのではないか」という恐れ。「自分にできることなどあるのか」という自己否定。こうした思いと向き合いながらも、一歩踏み出す勇気は、実は大きな信仰の行為なのです。神はその心の中の声をすべてご存知であり、すでにあなたの一歩を待っておられます。
2. 障害者雇用という“社会的な回復の場”
障害者雇用制度は、日本の社会において、制度的に弱さを抱えた人たちが職場に戻るための扉として設けられたものです。しかし、それは単なる「配慮枠」ではありません。それはむしろ、「共に生きる社会」を実現するための、神の愛の構造の一つとも言えるでしょう。
職場とは、働き手が互いに仕え合う場です。健常者であっても、心に傷を抱えながら働く人は多くいます。障害者雇用においても、支援があるとはいえ、そこでの努力や成長は、誰よりも尊いものです。神は、人間の価値を“できること”によって量るのではなく、“存在そのもの”によって受け入れてくださいます。そして職場での小さな忠実さをも、神は喜ばれるのです。
「人はうわべを見るが、主は心を見る」(サムエル記上 16:7)
障害者雇用の場は、社会的支援の枠であると同時に、神の愛と正義が表される現場でもあるのです。
3. 弱さを通して神が働かれるという真理
聖書の中で、神が選ばれる人物たちは決して“完璧な人”ではありません。モーセは言葉に不自由を抱え、エリヤは鬱のような孤独に悩まされ、パウロは「肉体のとげ」に苦しみ続けました。それでも彼らは、神の大いなる計画の中で、力強く用いられました。なぜなら、**「人間の弱さを通してこそ、神の力が現れる」**からです。
パウロはこう語ります。
「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中で完全に現れるからである」(第二コリント12:9)
このみことばは、障害を持つすべての方々にとって深い慰めであり、また、神の励ましの約束です。弱さを否定せず、そのまま神の前に差し出すとき、神はそこに力を注がれ、思いもよらぬかたちで働かれるのです。
障害とは、役に立たない証ではなく、神の力を受け取る器となるための印であるのかもしれません。
4. 精神的・霊的な癒しと職場での歩み
精神疾患や発達障害など、目に見えにくい困難を抱える人にとって、職場は時に大きな壁となります。上手く伝わらない、急に疲れてしまう、集中力が続かない――こうした症状は、自己評価を下げ、ますます社会と距離を感じさせてしまいます。
しかし、神はあなたのその内側の声に寄り添っておられます。精神科医としても、私は数多くの患者さんが「ほんの数時間の仕事」や「週に1回の作業所通い」から、少しずつ自己を回復させていく姿を見てきました。
その小さな回復の一歩一歩には、神の「癒しのわざ」が確かに働いていると私は感じています。
祈りとともに働く。必要であれば休む。そして再び歩き出す。その繰り返しの中で、信仰と生活が少しずつ一致していきます。主は「すべての重荷をわたしに委ねなさい」と言われました。その約束を信じて、職場という“日常の聖所”を、神との同行の場所にしていきましょう。
5. 終わりに:あなたの“今日の一歩”に神は共におられる
障害者雇用という枠組みは、社会的には“配慮”の一部と捉えられることもありますが、霊的には「神が今のあなたにふさわしい道を備えてくださった」ことのしるしであると信じています。主は私たちの弱さも、歩みの遅さも、内なる痛みも、すべて知っておられ、それらを通してあなたを整え、祝福しようとしておられます。
就職活動や職場での試練の中で、「私は十分ではない」と感じることがあるかもしれません。でも、神の視点では、「あなたはそのままで愛され、選ばれている」存在なのです。
信仰をもって一歩を踏み出すあなたに、主は「よくやった、忠実なしもべよ」と語りかけておられるでしょう。
どうか今日も、あなたの働きが主の栄光のために用いられ、あなた自身も癒され、整えられていきますように。
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